司法書士法人関根事務所では、成年後見の申立てなどの手続は行っていますが、成年後見人として就任することはしていません。理由は次の3点です。
理由1
賠償リスクのコントロールが実務上不可能であること
不動産売買の本人確認と異なり、後見業務では、当方のコントロールが及びにくい不確実な要素が多くあります。生活環境、施設側の運用、家族関係、突発的な事故、当事者の行動など、個別事情が結果を大きく左右し得ます。これらを十分に織り込まずに受任することはリスクが高い、というのが私たちの判断です。
※以下は、後見業務に内在する不確実性を説明するための仮想事例です。
被後見人の高齢男性が老人ホームの食堂で食事をしている。隣のテーブルには高齢女性がいて、その孫が面会に来ている。そこで男性が突発的な行動を起こし、幼児の目を箸で突き、失明させてしまったらどうなるでしょうか。被害が重大であれば、被害者側が損害賠償を求めるのは自然であり、後見人は事故対応や説明、関係者調整等の最前線に立たされ得ます。
このとき問題になるのが、責任能力と監督義務者の責任に関する民法の規定です。
民法712条 未成年者は、他人に損害を加えた場合において、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、その行為について賠償の責任を負わない。
民法713条 精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。ただし、故意又は過失によって一時的にその状態を招いたときは、この限りでない。
民法714条 前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2 監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も、前項の責任を負う。
そして重要なのは、民法714条や、いわゆるJR東海事件(最三小判 平成28年3月1日)を根拠に、結論だけを見て「大丈夫」と整理するのは危険だという点です。
「JR東海事件の最高裁判決があるから、監督義務者は責任を負わないのでは?」と考えるのは楽観的すぎます。最高裁は「一律に責任を負わない」とは述べておらず、生活状況や関与の実情等を総合考慮するという判断枠組みを示したにとどまります。したがって、事案の事情が変われば(被害の重大性を含め)、結論が動き得ます。
なお、JR東海事件の事案経過や控訴審の判断(賠償額の判断を含む)については、ページ下部に補足として整理しています。
【最高裁 平成28年3月1日(平成26年(受)1434号・1435号)裁判所PDFはこちらへ】
※本判決は家族が被告となった事案であり、成年後見人の責任の有無を直接判断したものではありません。成年後見人については、職務上の注意義務(善管注意義務)を尽くしたか、生活・介護体制への関与の態様等を含め、別途、個別事情により評価され得ます。
また、被害が重大で救済の必要性が強く意識される局面ほど、監督的立場にある者に求められる注意義務の内容が具体的かつ厳格に検討され、後見人側が法的責任を追及される可能性や、対応負担が拡大する可能性があります。
さらに、最終的に法的責任が認められるか否かとは別に、重大事故への対応(関係者対応、説明、調整、記録、再発防止等)そのものが、事務所の運営と信用に直接影響し得ます。私たちは、この排除しきれない不確実性を前提に、後見人就任を事務所の業務として受任しないという判断をしています。
補足
なお、実務上は施設側に過失があるかがまず検討対象になります。事前のリスク評価や情報共有、危険物の管理、見守り配置、緊急時対応などに不備があれば、施設側の安全配慮義務違反や一般不法行為責任が問題となり得ます。
他方で、施設が相当の注意義務を尽くしていても回避不能と評価される場合には、民事賠償としては回収が難しくなることがあり得ます。その場合でも、施設の賠償責任保険による示談対応などの可能性は個別に確認すべきです。事件性がある場合には、犯罪被害者等給付制度を含む公的救済の可能性も、個別に確認すべきです。
理由2
制度改正による収益性の激減予測
将来性についても冷静な計算が必要です。成年後見制度については、「必要なときに必要な期間だけ利用できる」方向で見直しが議論されており、制度設計次第で業務量や報酬の前提が大きく変わり得ます。
【法務省リンクはこちらへ】
【厚生労働省リンクはこちらへ】
数字で単純化してシミュレーションすると影響は明白です。仮に、被後見人が亡くなるまで8年後見が続くなら、収入期間は96か月です。これが制度改正で仮に3か月程度の一時利用が標準になると想定すれば、96か月が3か月になります。月数ベースの単純比較では、**96か月→3か月で約96.9%減(3/96≒3.1%)**です。
※報酬体系や業務量を単純化したモデル上の比較ですが、収益構造が大きく毀損し得ることを示すには十分です。
制度の前提が崩れる可能性が見えている分野を、これから成長するキャリアの柱に据えるのは危険だと判断しています。
理由3
高付加価値業務への集中
私たちは、リスクと収益のバランスが読みづらい分野を事務所の柱に据えるのではなく、不動産実務、企業法務、複雑な相続など、より高度で付加価値の高い領域にリソースを集中させています。
当事務所としては、後見就任業務を主要な収益源として位置付けていません。
なぜこの説明をするのか
成年後見は、選任の仕組みがあるため、実務の入口として選びやすい分野です。
一方で、監督義務者責任(民法714条)の整理、判例が示す判断枠組み、制度見直しが収益構造に与える影響など、前提となる論点が多く、これらを整理せずに引き受けることは、私たちの判断基準では避けるべきリスクと考えています。
当事務所がこのページで考え方を明示しているのは、求職者の方に、当事務所が重視する判断基準と仕事の進め方を、あらかじめ共有するためです。
当事務所で身につく力 当事務所では、不動産登記、企業法務、複雑な相続案件など、高度な法的判断が求められる業務を中心に取り扱っています。後見業務に時間を割くのではなく、一つひとつの案件で「条文の趣旨」「判例の射程」「事実関係の評価」を徹底的に検討する訓練を積み重ねます。このような環境で成長したい方を、私たちは大歓迎します。
補足:JR東海事件(最三小判 平成28年3月1日)
JR東海事件(最三小判 平成28年3月1日・平成26年(受)第1434号/第1435号)は、認知症の高齢男性(当時91歳)が駅構内の線路内に立ち入り、列車と衝突して死亡した事故に関し、鉄道会社が本人の妻と長男に対して損害賠償を求めた事案です。
本件の法律的なポイントは、本人が精神上の障害により責任能力を欠く状態にあると評価される場合には民法713条により本人の責任が問いにくくなり、その結果として民法714条に基づき、監督義務者等の責任が問題となり得る点にあります。
最高裁は、監督義務者等の該当性を形式で決めず、生活状況や関与の実情等を総合して判断すべきとし、本件では妻・長男ともに責任を否定しました。この枠組みは、事案が変われば結論が動き得ることを示しています。
この事件の重要性は、最高裁の結論だけでなく、一審・控訴審・上告審で結論が大きく揺れたことにあります。控訴審(名古屋高裁)は、長男については監督義務者等に当たらないとして請求を退けました。しかし妻については、監督義務者としての責任を肯定し得るとしたうえで、損害の公平な分担という観点から、請求額の5割の限度で賠償責任を認めました。請求額は振替輸送費用等を中心に約720万円で、控訴審はその半額(約360万円)の支払いを命じる構造になっています。
要するに控訴審は、責任を肯定するか否かだけでなく、責任を肯定した場合に金額をどこで止めるかまで踏み込み、しかもその根拠として公平を前面に出したという点で、実務的に非常にインパクトの強い判断でした。
本件は家族が被告となった事案であり、成年後見人の責任を直接判断したものではありません。ただ、同種の事故類型でも、控訴審段階では具体的な支払義務(約360万円)を認める判断が現に出ている以上、重大事故の局面では、関与の実情や注意義務の内容がより具体的かつ厳格に検討され、法的責任の有無以前に、対応負担(説明・調整・記録・再発防止等)も含めて事務所運営と信用に直接影響し得ます。当事務所は、この排除しきれない不確実性を前提に、後見人就任を事務所業務として受任しない方針としています。
※幼児が片眼を失明した場合、後遺障害等級8級相当で、逸失利益等を含む損害賠償額が数千万円規模(約5,000万円から7,000万円)に及ぶ可能性があります。逸失利益は、基礎収入×労働能力喪失率×喪失期間に対応する係数で試算します。試算として、基礎収入を年500万円、労働能力喪失率を45パーセント、就労開始18歳から67歳まで49年、年3パーセントで中間利息を控除する前提を置くと、喪失期間の係数はおよそ25.5となり、逸失利益は約5,700万円程度になります。ここに後遺障害慰謝料の目安を加えるだけでも合計は6,000万円台に達し得、さらに治療費、付添費、将来治療費等が加わり得ます。実際の金額は等級認定、基礎収入の置き方、喪失期間や係数、過失相殺等で大きく変動しますが、被害が重大であるほど算定項目が積み上がりやすい点は共通です。この規模感が、事故対応を担う側の負担を一気に現実のリスクにします。